The Diary of a Nose : Book Review

A book that gives a glimpse into the philosophy of a true perfumer
天性の調香師の哲学が垣間見える一冊

調香師という仕事は、謎に包まれている。そもそも、調香師がどんな経緯で調香師になるのか。親が調香師だったから、とか、香の都 グラースに生まれたから、というパターンが多いが、だからといっていつの間にか調香師になっていた訳ではないだろう。調香のトレーニングも、何百という香料を覚えることから始まる、というのはよく聞くが、その後どうやってブレンディングの引き出しを増やしていくのか、だとか、調香師になったあとの日々のルーティンはどんなものなのか、とか、そもそも調香師は日々どんなことを考えて生きているのか、なんてことも、世の中に広く知れ渡ってはいない。

だからこそ、この本は貴重なのだ。香りについての本はわたしもたくさん持っているが、調香師についての本はなかなかない。しかも著者は世界的に有名な調香師なのだから、いったい彼が何を考えて日々過ごしているのか、気にならないわけがない。

Jean-Claude Ellena氏が2009年10月から1年間に渡って綴ったこの日記は、ただ日々起こったことを綴ったものではない。その日に起こったことをきっかけに過去を回想したり、その日に思い耽っていた彼自身の哲学や、なかなか完成しない香りについて、旅先で感動した小さなできごとなどが1〜3ページくらいのスペースで綴られている。

Pleasures, small pleasures; I like the pleasures we pilfer from everyday life, they brighten the day. They are mundane, they feel repetitive, they reassure. If we overlook them we deprive ourselves of the joy that make like bearable.

Jean-Claude Ellena

いわゆる自伝や、その日にあったできごとを詳しく綴っているような「日記」を期待していると、がっかりするかもしれない。これは彼の思考をちらと覗かせてもらっているような、ある意味独り言みたいな本で、わたしにはそれがとても心地良く感じる。彼はその日にあったことの一部を切り取り、そこから思考を巡らせながら筆を走らせる。それは、フレグランスに関することだったり、まったく関係のないことだったりもする。彼の視点を通して世界を見ていると、少しずつJean-Claude Ellenaという人物像が浮き上がってくる。

2010年に彼が日本を訪れたときの日記は、特に興味深かった。彼は、わたしたち日本人がさほど意識していないディテールを大切に切り取る。中でも「日本では、季節によって食器が変わる。冬はセラミック、夏はガラスや竹というように」という箇所にハッとさせられた。あまりに慣れてしまっていて、それが「当たり前」ではないことに気付いていなかった。四季がある国はたくさんあれど、日本ではそれを愛でる文化がある。季節の移り変わりを感じ、語り、尊ぶこと自体が、わたしたちの生活に自然と溶け込んでいるのだということを、この一文で実感したのだ。

秋頃、初めてこの本を読んだ。図書館で借りて、その足で公園へ行き、暗くなるまで静かに読みふけった。彼の文章があまりに心地良く、いつまでも読んでいられた。あまりに気に入って返却したくなくなってしまったので、購入することにした。Amazonを覗いたら、それまで£10程度で販売されていたのに、なぜか£80に値上がりしている。Amazonは気まぐれなので、そのうち価格ももとに戻るだろうと放置していたら、なんと£155まで値上がりした。そうなるとさらに意地でも手に入れてやるという気になり、日に日に価格をチェックし続けた。結局、£19とお安いとも言えない価格で購入に至ったのだが、わたしにとってこの本はそれ以上の価値がある。iPhoneのメモアプリに気に入った文章をいくつも保存していて、それらは何度読み返しても心に響く。出会えて良かったし、これからもずっと持っていたいと思える一冊だ。