When people talk about fragrance, they are talking about their lives
香りを語るとき、人は人生を語っている
香りについてのレビューは、完全に個人的なもの。アイシャドウやリップスティックと違って、香りは脳にダイレクトに響き、過去の思い出や訪れた場所などの記憶を呼び覚ます。100人が「良い香り」という名香でも、その香りにまつわる苦い思い出があれば、それはあなたにとって心地良いものではないだろう。逆に言えば、好きな香りには好きな理由があったりするものだ。例えばジャスミンの香りが好きな人は、小さい頃に庭にジャスミンが咲いていたのかもしれない。柑橘系の香りが好きな人は、大好きなお母さんの肌に残ったオレンジの香りを思い出すからかもしれない。香りを語るとき、人は人生を語っているのだ、と思う。
目で見るものは写真に残せるし、耳で聴くものは録音できる。でも香りには実態がなく、人と共有することができないため、言葉を頼らざるを得ない。わたしは幼い頃から匂いに敏感で、香りを嗅いで情景が見えたり、過去の思い出が鮮明に蘇ったりしていたので、それを言葉にするのにはさほど苦労しなかった。2021年12月にコロナに罹って一時的に嗅覚を失い、香りの感じ方が変わったことにショックを受け、しばらく調香の勉強を休んだ。そろそろ再開できるか、と思っていた5月、また体調を崩した。イギリスの医療制度は日本のように便利なものではないので、コロナを超える高熱が出ている理由も分からず、検査も受けられず、薬も処方されず、数日ロクに食べずに寝ていた。それが副鼻腔炎だと分かった頃には重症化していて(Googleに助けられた自己申告だった)、上がったり下がったりする熱とひどい喉の痛み、鼻詰まりが2週間以上も続いた。症状が治まっても嗅覚はなかなか戻らなかったが、更にショックを受けたのは嗅覚が戻ってからだった。
匂いはするのに、以前のように香りを嗅いだときに脳裏に記憶や情景が広がる感覚がない。「良い香り」「好きじゃない香り」の判別はできても、香りを言葉で形容することができない。想像力をむくむくと呼び起こす脳のどこかの部分と香りを感知する鼻が完全に切り離されてしまったかのような感覚だった。調香の勉強を始めたのも、ただ香りが好きなだけでなく、自分の敏感な嗅覚を活かせないかと思ったからだった。香りの構成を言い当てたり、微妙な配合率を調整したり、特にトレーニングをしていなくてもそういったことができていたから。なのに、香りを嗅いでもモヤがかかったように、向こう側が見えない。ショックだった。
以来、エッセンシャルオイルを含むいろんな香りを嗅ぐことで、少しずつトレーニングをしている。書籍やソーシャルメディアから香りを表現する言葉を拾い集め、香りを嗅いだら自由に想像するよう意識する。まだ完全に「鼻が戻った」とは言えないが、こうして文字を書くことで、香りを言語化するトレーニングを続けていきたいと思っている。
さて、序盤に書いたことに戻るが、香りのレビューは個人的なものだ。ソーシャルメディアを見ていると「人さまが好きな香りを貶すのは申し訳ない」という意見もあるようだが、わたしは「個人的なものなんだから、他人がどう思おうと関係ない」という意見だ。自分が大好きな香りを「世界で一番嫌いな匂い」と表現している人がいても、きっと過去にあった嫌なできごとや苦手だった人、行きたくなかった場所など、ネガティブな記憶と結びついているのだろうな、と思って、逆にそれは一体なんだろうと興味が湧いたりする。もちろん、嫌な過去を掘り起こすのは楽しいことではないので、根掘り葉掘り質問するようなことはないけれど。わたしは基本的に「嫌いな香り」はレビューするつもりはないが、レビューの中に否定的な表現が混じったとしても、それが好きな人への当てこすりなどではないので、ご理解いただきたい。
いま、わたしの手元にはたくさんのサンプルがある。ブランドにいただいたもの、イベントでいただいたもの、自分で購入したものなどさまざまだが、ひとつひとつ肌で香りを感じながら、レビューを書いていこうと思っている。またいつか、香りを嗅いで脳裏に映画のスクリーンかのように情景が映し出される日がくることを願って。